
普段は植物に向き合う日々ですが、今日は少し視点を変えて、「育児から学んだ、大人にも通じる人間関係のヒント」について書いてみようと思います。
皆さんは、「ありがとう」と「ごめんなさい」、素直に言えていますか?
もちろん、感謝と謝罪はたくさん言っておくに越したことはありません。
でも、大人になればなるほど、不思議と口にするのが重たくなるのが「ごめんなさい」という言葉ではないでしょうか。
謝ることの「本当の意味」とは
謝るという行為を、「自分の負けを認めること」や「屈服すること」だと感じてしまう人がいます。
かつての私も、どこかそう思っている節がありました。
でも、育児を通して気付いたことですが、謝ることは負けを認めることではありません。
「目の前のネガティブな話題を終わらせて、その人と次の楽しい話に進むためのスイッチ」
これが、私がたどり着いた結論です。
もちろん、日本人にありがちな「とりあえず何でも謝る(すみませんが口癖)」という態度は必要ありません。
自分に非が全くないのなら、無理に頭を下げる必要はないでしょう。
しかし、「自分にも少しは非があるな」と主観的に感じたのなら、さっさと謝ってしまった方が絶対に得です。
なぜなら、賠償問題になるような大きな事故でない限り、小さなミスは謝ってしまえば相手はそれ以上責めようがなくなるから。
そして何より、「ごめんね。ところでさ…」と、次の新しいコミュニケーションへ進む切符を手に入れられるからです。
次男と「お米」の事件
この考え方がいかに強力か、最近我が家で起きた出来事で確信しました。
我が家の次男は、普段はとても活発な性格でコミュニケーション能力も高いです。
ですが、いざ「謝らなければならない状況」になると、急に縮こまってしまう性格です。
もじもじして、言葉が出なくなり、貝のように押し黙ってしまう。
親としても「どうやって諭すべきか」と悩んでいました。
そんなある日、事件は起きました。
祖父(私の父)が丹精込めて作り、わざわざ送ってくれたお米。
そのお米が入ったケースを、次男が不注意で手元から落としてしまったのです。
ガシャンという音と共に、ケースは割れ、大切なお米が床一面に散乱しました。
次男は呆然としていました。
やってしまったという恐怖と、大好きな祖父のお米を無駄にしてしまった罪悪感。
彼の顔からは血の気が引き、またいつものように「殻」に閉じこもろうとしていました。
「ごめんなさい」は魔法の言葉ではない、ただの「手段」
私は彼を怒鳴りつけることはしませんでした。代わりに、こう伝えました。
「わざとやったんじゃないのは分かってる。悪気はなかったんだよね」
次男は小さく頷きました。そこで私は続けました。
「でもね、まずは謝ろう。そうしないと、大好きなおじいちゃんと、これまでのように楽しくお話ができなくなっちゃうよ」
「怒られるから謝れ」ではなく、「また楽しく話すために謝ろう」と伝えたのです。
この言葉は、彼の中にストンと落ちたようでした。
妙に早く納得した表情を見せたのがとても印象的でした。
次に祖父に会った時、彼は自分から真っ直ぐに「ごめんなさい」と言えました。
当然、祖父は「怪我はなかったか?」と優しく許してくれました。
その瞬間、次男の表情がパッと明るくなり、すぐにいつもの彼に戻って祖父と楽しそうに遊び始めたのです。
もしあそこで意固地になって謝っていなければ、彼は祖父と会うたびに気まずさを感じ、あの愛おしい時間は失われていたかもしれません。
大人こそ、素直な「ごめんなさい」を
この話、そのまま私たち大人にも当てはまると思いませんか?
仕事でも家庭でも、つい意固地になって謝るタイミングを逃し、関係がギクシャクしたまま長引かせてしまう。
プライドが邪魔をして、「自分は悪くない」と殻に閉じこもる。
でも、それは「相手との未来の時間」を捨てているのと同じことです。
植物も人間関係も、拗れたまま放置すれば枯れてしまいます。
でも、適切なタイミングで手入れ(謝罪)をすれば、また新しい芽が出てくる。
自分が少しでも悪いと思ったら、サッと謝って、「ところで」と次の話をする。
それは決して恥ずかしいことではなく、関係を前に進める賢い大人の処世術なのだと思います。
アンスリウムを育てるように、大切な人との関係も、素直な言葉で育てていきたいですね。