
普段はハウスで無口な植物たちと向き合っています。
最近、人間同士のコミュニケーション、特に言葉を使った伝える技術の難しさについて
深く考えさせられる出来事がありました。
ただの事実を伝えるのは「告げ口」感がすごく出る
私には、小学1年生で支援学級に通う長男がいます。
長男は発達障害+自閉スペクトラム症です。
本人の意図とは裏腹に、何かと周囲に誤解されてしまう場面が少なくありません。
そのため、担任の先生とは毎日交換日記をして、学校での出来事を細かく連絡し合っています。
とてもありがたいことなのですが……実は最近、その文面に少しモヤモヤを感じることが増えました。
もちろん、先生ご本人に悪気があるわけではないのはわかっています。
起きた事実をそのまま伝えてくれているだけなのは十分に理解しています。
しかし、その誤解を生みやすい言動を「ただの事実」として切り取って書かれただけだと、
受け取る親としてはただの告げ口のように見えてしまうことがあるのです。
これがまさに、今回私が痛感した伝える方の重要なポイントでした。
友達の手に爪が当たった時の話
例えば先日、こんなことが書かれていました。
「お友達とカードゲームをしていた時、長男くんの爪が相手の手に当たり、白く薄い傷がつきました」
この一文だけを見ると、まるで本人が意図的に爪を立てて相手を傷つけたようにも捉えられますよね。
でも実際は、たまたま手が触れただけかもしれません。
悪気なんて一切なく、複数人で夢中になって遊んでいる時に起きた些細な出来事だったのかもしれません。
親としては、その時の状況やシチュエーションを一緒に教えてほしいわけです。
本人にしっかり注意をして言い聞かせた方がいいのか、それともお互い様の範疇だから特に何も言わなくて良いのか、判断のしようがないからです。
背景情報が抜け落ちてしまうと、報告はただの告げ口になってしまいます。
大人の会話でもあるある
これって、大人の社会や仕事の場面でも全く同じことが言える気がします。
ビジネスの現場における伝える技術でも、自分の個人的な推測と客観的な事実はしっかりと切り分けて伝える必要があります。
ですが同時に、「相手が正しく判断するための材料」として、状況やシチュエーションの情報は絶対にセットで必要なはずです。
それが備わってこそ、円滑に伝わりやすくなると言えるのではないでしょうか。
誰かに出来事を伝える時は、事実だけでなくその背景も合わせて共有する。
これは、単なる報告を血の通った対話に変え、コミュニケーションを円滑にするためにとても大事な要素だなーと、改めて思ったという話です。