
私たちはアンスリウムの生産を通じて、多様な人が共に働く場所づくりを大切にしています。
その一環として障がい者雇用にも取り組んでいますが、先日、ある「事件」が起きました。
期待の新人が来ない朝
今月から新しい仲間が加わる予定でした。昨年の実習では、スタッフが「本当に障がいがあるの?」と驚くほど優秀だった彼。初出勤を皆で楽しみにしていました。
しかし、開始時間を過ぎても彼は現れません。 困惑する現場で、ふと一人のスタッフが漏らした言葉が、私の耳に残りました。
「あぁ、やっぱりな……」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸は締め付けられるような思いがしました。
誤解しないでいただきたいのは、私はそのスタッフを責める気持ちは一切ないということです。
そのスタッフが悪い人なわけでも、意地悪で言ったわけでもありません(素晴らしいスタッフです)。
ただ、世の中の多くの人が、無意識のうちに「障がいを持つ方はトラブルが起きる可能性がある」という色眼鏡で見てしまう。
その「当たり前の反応」としての言葉だったのだと思います。
それが今の社会のリアルな空気なのかなと。
私の「親」としての痛み
なぜ私がここまでその言葉に過敏に反応したのか。
それは、私自身の子供が発達障がいを持っているからかもしれません。
我が子はいつもニコニコと笑っていますが、少し周りとズレているところがあり、自分の想いを言葉にするのが苦手です。
本人は何も悪くないのに、うまく説明できないせいで「困った子」として扱われたり、知らないうちに負のレッテルを貼られたりしているのではないか……。
親として、そんな不安を常に抱えています。
だからこそ、仲介者のミスによって、本人の預かり知らぬところで「やっぱり」という偏見を助長させてしまったことが、たまらなく悔しかったのです。
怒りの矛先と、守りたかったもの
真相はあまりにショックなものでした。
就労支援センターの担当者に連絡すると、本人は「3月中旬から」と希望を出していたのに、センター側がその連絡を私たちに伝え忘れていたのです。
私は、電話越しに数分間、支援員の方に厳しい言葉を贈らせてもらいました。
「本人はこんなに前向きに頑張っているのに、仲介するあなたが本人の評価を下げてどうするんですか?」と。
障がいを持つ方は、ただでさえ負のレッテルを貼られがちな存在です。
たった一つの事務的なミスが、彼が実習で積み上げた信頼をゼロにし、現場の仲間に「やっぱり障がい者は……」という偏見を植え付けてしまう。
支援員の方は、その「仕事」の重みを背負っているはずです。
レッテルを剥がす、その先へ
スタッフの「やっぱり」という言葉は、誰の心の中にもあるものです。
だからこそ、その芽を摘むのが私たち雇用側や支援側の責任です。
障がい者雇用とは、席を用意することだけではありません。
彼らが真っ当に評価されるよう、不当な偏見から彼らを「守る」ことも大切な役目です。
中旬、彼が笑顔で出社してくる日を、私たちはフラットな心で迎えたいと思います。