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「責任を取る」の本当の意味。大雪の日の忘れ物

子育て

今年の冬はすごいですね。
僕の住む地域でも、「10年に一度」と言われるレベルの雪が積もっています。
今日雪が収まっていて、写真はちょっと溶けた雪景色です。

大人にとっては交通機関の乱れや雪かきなど、悩ましい種でしかありませんが、子供たちにとっては空から降ってくる宝物。
先日、保育園に通う息子にとっても、待ちに待ったイベントがありました。
保育園からの一斉連絡。

「雪遊びをするので、防水のジャケットや手袋を持参してください」

息子は大喜び。
前日の夜から、しっかり袋に詰めて準備万端……のはずでした。
しかし当日の朝、事件は起きました。
息子がその荷物を、家の玄関に忘れていったのです。

我が家の「テレビ視聴」のルール

我が家には、朝のテレビ視聴について一つの鉄則があります。

「テレビを観るなら、出発の準備を完璧にしてから」

具体的には、

  • 今日持っていく荷物をすべて玄関に置く
  • コートを着る
  • 靴下を履く
  • 親が「行くよ」と言ったら0秒でドアを開けられる状態にする

ここまでやって初めて、テレビのリモコンに触れていいことになっています。
この日、息子はテレビを見ていました。
でも、準備は完璧じゃなかった。

雪遊びへの興奮か、テレビへの没頭か。
彼は一番大事な「雪遊びセット」が入った袋を玄関に残したまま、登園してしまったのです。

親として「届けない」という選択

気づいたのは、彼が保育園を送り届けた直後。
私が気を利かせて家に忘れ物を取りに戻り、届けるのは簡単でした。

でも、私は「届けない」と決めました。

このままだとどうなるか。
クラスの友達が歓声を上げて雪に飛び込んでいく中、道具のない彼は一人、室内で遊ぶことになります。
想像すると胸がチクっと痛みます。

「かわいそうだから届けてあげようか」 という甘い考えもよぎりました。

それでも届けなかったのは、「自分で責任を取る」という経験をしてほしかったからです。

「意思を尊重する」の本当の意味

我が家の教育方針の根底には、「子供の意思を最大限尊重する」という考えがあります。

でも、これはただの放任ではありません。
尊重するということは、「その結果起きたネガティブな事象も、本人が引き受ける」ところまでがセットです。

  • ルールを守らずテレビを見たこと
  • 確認を怠って家を出たこと

これらはすべて彼自身の行動の結果です。
だから、「みんなと雪遊びができない」という悲しい結末も、彼自身が引き受けなければなりません。

大人が勘違いしている「責任」の本質

これ、実は育児だけの話ではないんですよね。
今の世の中、特に政治や企業の不祥事ニュースを見ていると違和感を覚えることがあります。
「責任を取って辞任します」という言葉です。
これって、本当に責任を取っていると言えるのでしょうか?

僕が思う「責任を取る」とは、 「引き起こしてしまった事態を、自分の手で収束させること」 あるいは 「招いた不利益を、最後まで自分で被ること」 だと思っています。
ただ辞めて逃げるのは、責任放棄に近い。
本来であれば、マイナスになった状態をゼロ、あるいはプラスに戻すまで汗をかくのが「責任」ではないでしょうか。

息子への願い

今回の件で言えば、 「道具がないから遊べない」という現実を直視し、その悔しさを噛み締めて、「次は絶対に確認しよう」と行動を変えること。
それが、息子にとっての「責任の取り方」です。

親が先回りして忘れ物を届けることは、この「成長の種」を奪うことになります。
守れない約束はすべきではないし、した約束はちゃんと守る。
自分の行動の尻拭いは自分でする。
雪遊びができなくて泣いているかもしれない息子を思い浮かべながら、 「この悔しさをバネに、強い男になってくれよ」 と、心の中でエールを送りました。

植物も人間も、厳しい冬を乗り越えてこそ、強い根が育つものですから。

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