
先日も記事にしましたが、当園では障がい者雇用に取り組んでいます。
前回に続き、また一人実習生受け入れました。
また違ったタイプの方でしたが、今回の方もとても平和に実習を続けてくれています。
彼らを引き受けて思ったのは、「世間のイメージってやっぱりあてにならんな」ということでした。
「どこに障がいがあるのかわからない」という評価
今回引き受けた実習生に対して、当園の従業員は口を揃えてこう言います。
私も事前に何回か会話を重ねましたが、同じ意見でした。
その時聞いた話では、前の仕事は本当に時間的・気持ち的な余裕がなかったそうです。
病院に行くための休みはなかなか取れないどころか、トイレに行く時間すらなかったのだとか。
要は、この方が発作を起こす原因の大半は「労働環境」にあったということです。
幸い当園はそこまでシビアな働き方を求めていません。
そのおかげか、実に落ち着いて仕事をしてくれました。
私たちはイメージで話しすぎていないか
本当にこの通りで、私たちは障がい者について知っていることが少なすぎます。
インターネットの登場により、「(経験もなく)なんとなく知っている」ことが多いのです。
そして、勝手なイメージで語る人も多いです。
もちろん精神障がいやパニック障がいなど、まったく手が付けられないケースもあります。
でも、中には今回のようにパッと見健常者と見分けがつかないというケースもあるのです。
よくよく周囲を見渡してみると、○○障がいの方(もしくはそう想定される方)は結構います。
ちなみに今回障がい者雇用への取り組みをするにあたり、初め従業員からは少し否定的な意見が出ました。
「そんな人に来てもらっても相手ができない」といった感じです。
でも、実際に来てもらうと先述のような評価をする場合もあるのです。
私もこれまでは偏見を持っていましたし、本当に世間のイメージはあてになりません。
時代によって「障がい者」の定義も変わります。
だからこそ、私たちはもっと学ぶべきだと思いました。
「明日、私たちも障がい者になるかもしれない」というリスク
経営者同士の勉強会の中で出たコメントで、私はここにかなり心が動きました。
今日仕事から帰る時に交通事故に遭って、片腕を失うかもしれない。
今夜寝ている時に脳梗塞が起きて、痴呆が発症するかもしれない。
幸いなことに、私は今のところ五体満足で過ごして来れましたが、明日は我が身かもしれない。
この認識は持っておくべきだなと感じました。
生活のために稼ぐという感覚は最も意識するところでしょう。
でも、意外と「社会とつながっているために仕事をする」という感覚こそが大事なのかもしれません。
特に高齢になってくるとこっちのウェイトが大きくなる気がします。
もちろん事業なので生産性の追求は必要です。
それと同じくらい、「明日も働ける安心」を提供できる職場づくりも大切なことだと思います。