
先日長男の卒園式がありました。
長男の晴れ舞台ですから、私はもちろんフォーマルな服装で参加しました。
親が見た目がイマイチな服装で参加して、我が子に恥ずかしい思いをさせるわけにはいきません。
クローゼットのスーツを着た時、「パツパツで入らなかったらどうしよう」とかヒヤヒヤしていましたが、特に問題なく着ることができて一安心です。
同じ時期に同じお店でスーツを仕立ててもらった知人が、「最近太ってあのときのスーツが着れなくなった…」と嘆いていました
この年代というのはそういう見た目の悩みが増えてくるようです。
「人は見た目が9割」はだいたい合っている
YouTubeなどに顔を出すようになってから、身なりに気を遣うことが増えました。
数年前SNSで「◯◯映え」という言葉が流行りました。
そのあたりから、「人は外見ではなく中身で勝負」という前提が崩れたように感じます。
「中身は大事だけど、それ以上に見た目が大事」に変わった気がします。
昔「キタナシュラン」という言葉が流行りました。
「汚い」と「ミシュラン」をかけ合わせた造語です。
「店内は汚いけど料理は美味しい」隠れた名店のことを指します。
最近そういう店は見かけなくなりましたね。
どの店も料理が美味しく、その上店内はどこもキレイです。
逆に店内が汚いと、『店が汚い=料理も不味いはずだ』というレッテルをSNS上で貼られたりします。
ある意味生きづらい世の中になった気がします。
そしてこれは、人に対しても言える気がします。
見た目がイマイチだと、中身がどれだけ立派でも信用されなくなりました。
アメリカかどこかの実験で、「人はみすぼらしい服装の医者よりも、白衣を着た詐欺師の言葉を信用する」という結果が出ていますし。
親の見た目次第で、家族全体の扱われ方が変わるのではないか
今回の舞台は長男の卒園式でした。
ただ、我が子の送迎を通して、親の見た目によっては通わせている我々の子供、ついては家族全体の扱いが変わるんじゃないかと考えるようになりました。
別に自分の見た目や服装に問題があるとは思ってないですよ?
ただ、こういうことってあるんじゃないかなと思うのです。
我が子を預けているこども園の先生は女性が多く、その大半が私よりも年齢が若いです。
同じ親御さんを相手にするなら、どうせならかっこいい、もしくはきれいな方がいいでしょう。
そして、気さくだとか、雰囲気の良い親御さんの方が良い印象を持つのは当たり前でしょう。
それは私達も同じで、どうせならかっこいいイケメンがいいし、かわいくて美人の方が嬉しいものです。
そして、子が小学校、中学校と上がっていくにつれ、私達親がそういう目で見られるハードルが上がっていくんじゃないかなと。
極端な話、親のせいで我が子がクラスメイトからいじめられるケースが出てくるかもしれません。
となると、親として「我が子がただ学校に通ってくれたらいい」という考えは甘いような気がします。
「(身なり含めて)親がちゃんとしている」ことが、我が子が学校生活を送るための最低条件なのかなと。
もちろん、身なりさえよくしていれば我が子の学校生活は安心!というつもりはありません。
でも、安心して学校生活を送れる確率が多少でも上がるような気がします。
何が言いたいかというと
「身なりはきちんとしよう」、これに尽きます。
身なりをきちんとしていることで、理不尽な減点を食らうことはなくなるでしょう。
結婚して子供ができると、どうしても見た目や自身の体型に無頓着になりがちです。
昨年四十路を迎え、いよいよ太りやすくなってきたように思います。
「お前のお父さん、かっこいいな!」と思ってもらえるような、かっこいい大人でありたいものです。